畳の歴史
日本ならではの敷物「畳」が貴族階級から庶民へと復旧するまで。
中国伝来のものが多い中で、畳は日本固有の敷物です。その歴史は「菅畳八重」「皮畳八重」などの記事がある古事記にまでさかのぼります。 まだ畳床などはなく、コモなどの敷物を重ねたものと推測されます。現代の畳に似た構造になったのは平安時代。板敷に座具や寝具として敷くという使い方で、使う人の身分によって畳の厚さやへりの柄・色が異なりました。 |
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鎌倉時代から室町時代にかけ、書院造が生まれて、部屋全体に畳を敷き詰める使い方に発展しました。それまでは高貴な人や客人のもてなしのためのものでしたが、建物の床材として利用されるようになったのです。 しかしそうした使い方も貴族や武士の富の象徴でした。桃山時代さらに江戸時代に至るなかで、数寄屋造や茶道が発展して普及し、徐々に町人の家にも畳が敷かれるようになりました。それでも身分による畳の制限の風習は残り、庶民が使用できるようになったのは江戸時代中期以降。畳師・畳屋と呼ばれる人々が活躍し、畳干しする家々の光景があちこちで見られるようになりました。 |
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奈良時代(710年) 現存する畳の古いものは奈良時代のもので、奈良東大寺の正倉院にある聖武天皇が使用した「御床畳」(ゴショウノタタミ)という、木製の台の上に置かれた寝台として使われたものです。これは現在の畳と同じように真薦(マコモ)を編んだ筵(ムシロ)のようなものを5〜6枚重ねて床として、表にい草の菰(コモ)をかぶせて錦の縁をつけたものです。この台を二つ並べてベッドとしていました。 平安時代(794年) 平安時代に入って貴族の邸宅が寝殿造の建築様式となると、板敷の間に座具や寝具などとして畳が所々に置かれるようになりました。この置き畳として使われている様子は絵巻物等に描かれています。 鎌倉時代(1192年〜)・室町時代(1392年〜) やがて鎌倉時代から室町時代にかけて書院造が完成されると部屋の周囲に畳を敷き真ん中を残す使い方から、部屋全体に畳を敷き詰める使い方になりました。それまでの客をもてなす座具であった畳が、建物の床材になり始めていきます。 安土桃山時代(1573年〜)・江戸時代(1603年〜) 桃山時代から江戸時代へと移るに従い、書院造は茶道の発展によって茶室の工夫や手段を取り入れた数寄屋風の書院造になっていきました。茶室建築から畳はやがて町人の家に引き継がれていきます。 畳が一般のものとなったのは、江戸中期以降のことであり、農村においてはさらに遅く明治時代になってからでした。江戸時代の長屋では、畳は長屋を借りる店子が運び込んで使ったといわれており、大家が用意しておくものではありませんでした。それだけに畳の手入れをして長持ちさせる知恵を身につけていったのです。 明治時代(1868年〜)・現代 畳干しをこまめにして、傷むのを防ぎ、表がやけたら裏返すをして使うというこうした習慣は戦後まで続きました。過密化した最近の都市では干す場所もなく、住まいの洋風化により、近年の中高層マンションにおいては、畳の部屋は1室という間取りが主流になってきました。しかし近年また畳の良さが見直されてきています。 |
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